労務事情 内定者への教育研修

[弁護士 岩本充史, 弁護士 宮島朝子]

Q.当社では,新卒の内定者に対して,入社前に1週間程度の研修を実施しています。社会人としての基礎力を外部セミナーで学んでもらい,往復の交通費と食事代を支給しています。また,専門資格取得のためのテキストを送付し,入社までに模擬試験を受けてもらっています。入社後は早々に資格試験に合格し,専門性をもって仕事に取り組んでほしいというねらいによるものです。
しかし,これまで特に問題となることはなかった研修や模擬試験について,「仕事に関する勉強をするなら,無給ではおかしいのではないか」「プライベートの予定があるので,勉強に割く時間がない」という者が出てきました。
内定者には,入社前に無給で教育研修を実施することはできないのでしょうか。また,内定者全員に教育研修を強制することはできないのでしょうか。入社前の教育研修について,特に留意すべき点があったら,教えてください。

A.

入社前の研修受講や模擬試験受験について,内定者に応じてもらうことを求めるのであれば,内定時に明確な同意を得ておくことがよい。同意がない場合,基本的には業務命令で受講や受験を命ずることは難しく,命じたとしても賃金の支払いが必要になる。

1. 内定後入社までの状態

内定は,始期付解約権留保付労働契約であると解されますが,この「始期」については,「就労の始期」とするもの(大日本印刷事件・最二小判昭54.7.20労判323号19頁)と,「労働契約の効力発生の始期」とするもの(電電公社近畿電通局事件・最二小判昭55.5.30労判342号16頁)があります。
前者を前提とすると,「始期」(例えば4月1日)まで就労の義務はありませんが,「一定の試用期間を付して雇用関係に入った者の試用期間中の地位と基本的には異なるところはない」(前掲・大日本印刷事件)ということになり,入社日までの間も,労働契約に基づき,就労を除く準備行為等についての指示を行うことが可能となる余地があります。
他方,後者の場合,「始期」である4月1日まで労働契約の効力自体が発生していないことから,労働契約に基づく業務命令は行い得ないということになります。
内定の法的性質が上記のいずれに解されるかについては,事案ごとの判断(内定時に採用日を明確にしているか否か等,始期付解約権留保付労働契約の内容として具体的にどのような合意をしたか等)になりますが,新卒採用の場合,内定時点で内定者が在学中の学生であることから,基本的には入社日(4月1日)に労働契約の効力自体が発生すると解されることが多いと考えられます。
このような効力始期付きの内定に関する裁判例として,宣伝会議事件(東京地判平17.1.28労判890号5頁)では,「効力始期付の内定では,使用者が,内定者に対して,本来は入社後に業務として行われるべき入社日前の研修等を業務命令として命ずる根拠はな」く,「効力始期付の内定における入社日前の研修等は,飽くまで使用者からの要請に対する内定者の任意の同意に基づいて実施されるもの」と判断されました。
そして,「使用者は,内定者の生活の本拠が,学生生活等労働関係以外の場所に存している以上,これを尊重し,本来入社以後に行われるべき研修等によって学業等を阻害してはなら」ず,「入社日前の研修等について同意しなかった内定者に対して,内定取消しはもちろん,不利益な取扱いをすることは許されず,また,一旦参加に同意した内定者が,学業への支障などといった合理的な理由に基づき,入社日前の研修等への参加を取りやめる旨申し出たときは,これを免除すべき信義則上の義務を負っていると解するのが相当」と判断しました。
以上から,効力始期付きの内定の場合,入社日前に研修等を実施する場合は内定者の任意の同意に基づいて実施されるものであり,学業等を阻害しない範囲で行う必要があります。
もっとも,「始期」が就労の始期と解されたとしても,就労以外のどのような行為について労働契約上の義務があるか明らかでなければ,使用者から業務命令として命ずることはできないと考えられます。いずれにせよ,内定の際に,内定から入社までの間に,どのような条件があるか,明確に伝え,内定者の同意を得ることが必要です。

2. 研修に対する賃金の支払義務

内定者が研修に参加したことや資格取得のための勉強に要した時間について,使用者が賃金を支払う義務があるか,という点が問題となります。賃金は労働の対価として支払うものであることから,研修に参加した時間や資格取得のための勉強時間が労働時間である場合,その対価として賃金を支払う必要があります。
この場合,労基法上の労働時間とは,労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間をいい(三菱重工業長崎造船所事件・最一小判平12.3.9民集54巻3号801頁),労働者が使用者から義務づけられ,または余儀なくされた行為については,使用者の指揮命令下に置かれたものと評価されます。
そのため,研修や資格取得のための勉強が,使用者から義務づけられたり,実施しなかった場合に不利益が与えられたりする場合には,使用者の指揮命令下に置かれていたものとして,労働時間制が認められる可能性がありますが,特段義務づけられたものではなく,自由参加にすぎず,参加しなかったとしても特段の不利益がない場合には,労働時間とは解されません。
なお,入社前に,業務内容や就労条件の説明等を行う研修が実施され,同研修に参加した時間の労働時間制が争われた事案について,参加の強制は認められないとして労働時間性を否定した裁判例として,オンテックス事件(名古屋地判平16.1.20労判880号153頁)があります。

3. 本問の検討

本問の事案では,入社前に社会人としての基礎力を外部セミナーで学んでもらうとのことですが,まずはこの点について内定前に明確に説明し,内定者の同意を得ておく必要があります。内定者の同意が得られているのであれば,当該セミナーを受けるということについて合意が成立しますので,当該合意に基づきセミナーの受講を指示することも可能ですが,内定者が学業の都合によりセミナーの受講ができないと申告した場合には,学業を優先するよう,配慮する必要があります。このようなセミナーの受講について,任意の参加とする場合であれば,賃金の支払義務はありませんが,日時を指定して参加を義務づけた場合,使用者の指揮命令下に置いたものとして賃金支払義務が認められる可能性があります。
次に,専門資格取得のためのテキストを送付し,模擬試験を受けてもらうとのことですが,当該資格の取得が入社の条件となることを募集段階で明示し,応募者(学生)もその点を認識のうえ,応募し,内定に至ったという事情がある場合,当該資格取得ができなかったことは内定取消事由となる余地がありますが,どのような方法で資格取得に至るかは,応募者・内定者の裁量に委ねられるものと考えられます。そのため,どの程度勉強時間を確保するか,模擬試験を受けるか否かについては,使用者からの業務命令が及ぶものではなく,具体的な勉強や模擬試験の受験について,業務命令で指示をすることはできないと考えられます。
そのうえで,なお,模擬試験の受験を義務づけ,あるいは受験しなければ不利益となるとして受験を余儀なくさせた場合,使用者の指揮命令下に置いたものとして賃金の支払義務が発生する可能性があります。
ただし,資格取得のための勉強時間については,どこでどのように勉強するかは会社としても関知し得ず,場所的時間的拘束性が低いため,基本的には指揮命令下に置いたとまでは言えないと解されます。そのため,勉強時間について賃金を支払う義務まではないということになります。会社としては,セミナーや資格取得のための模擬試験について,内定者に受講・受験してもらおうとするのであれば,あらかじめ内定前に明示し,明確な同意を得ておくことが必要です。

(『労務事情』2024年8月1・15日号より)

労務管理の理論と実践を繋ぐ! こんな方に
  • 企業・団体等の
    経営層
  • 企業・団体等の
    人事労務担当者
  • 労働組合
  • 弁護士
  • 社労士
  • 企業コンサルタント
    (中小企業診断士等)
  1. 法改正の動向をタイムリーにフォローし、わかりやすいQ&A形式で紹介
  2. 豊富な関連判例の紹介により、より深い理解を醸成
  3. 企業の人事部門に加え、専任者を置けない中小企業の顧客を持つ士業の方にもオススメ
労務事情 詳細を見る

ページトップへ