労務事情 懲戒処分の公表

[弁護士 中井智子, 弁護士 仁野周平]

Q.当社では,ある役員による取引先に対するパワハラ行為が発覚したことから,懲戒処分として降職し,再発防止のために社内のイントラネットを通じて実名で公表しました。役員である以上,懲戒処分が公表されてもやむを得ないと思いますが,この元役員はプライバシーの侵害だと抗議しています。
当社では,懲戒処分の公表については,特に就業規則に明示していませんが,過去には管理職や一般社員でも実名が公表された例もあります。
社内のみでの公表だとしても,懲戒処分がプライバシーの侵害として問題にされる可能性はあるのでしょうか。懲戒規定において,実名による公表を明示することは問題があるのでしょうか。

A.

懲戒処分の公表は,懲戒の対象となった社員のプライバシーを侵害する行為であると言え,あらかじめ就業規則で定めるべき事項だと判断される。
ただし,特にハラスメント事案に関する懲戒処分は,その事実を公表することにより,処分対象者のみならず,ハラスメントの被害者の特定につながるおそれがある。
懲戒処分の公表は,類似事案の再発防止,社員に対する教育という目的があると言えるが,その目的達成のためであれば,懲戒処分の対象者を特定するまでの必要はないと考えられる。教育目的に照らした合理的な公表方法が望まれる。

1. 懲戒処分の公表とプライバシー権

企業では,社員に対して懲戒処分を実施した場合,その懲戒処分の実施の事実,懲戒事実と懲戒処分の内容を社内に向けて公表することがあります。
懲戒処分は,社内秩序の維持,回復を目的とするものです。したがって,企業で懲戒処分を実施したとして,その内容を公表することは,問題となった非違行為によって害された職場秩序を回復するという目的を有すると言えるでしょう。また,同時に,非違行為の内容を明らかにし,それに対する懲戒処分を実施したことを社員らに伝えることで,再発防止にもつながると言えます。
しかし,このような公表を,懲戒処分の対象となった社員等の実名を明らかにして行うことは,対象社員等のプライバシー侵害とならないでしょうか。
プライバシー権とは,本来,私生活をみだりに公開されない権利として,人格権の1つとされています。
プライバシー権について,初めて裁判例で言及された事件は,「宴のあと」事件(東京地判昭39.9.28民集15巻9号2317頁)です。この事件は,小説の内容が個人の私生活をのぞき見したように描写された点について,プライバシーの侵害とされ,慰謝料の支払いが命じられました。
この裁判例の中では,プライバシー権は「私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利」とされ,公開された内容が,以下を満たす場合,権利侵害となると判断されました。すなわち,私生活上の事実または事実らしく受け取られるおそれがある事柄であること(私事性),一般的な感受性を基準にして公開してほしくない内容であること(秘匿性),一般の人々にまだ知られていない事柄であること(非公知性)であることです。
この裁判例を皮切りに,プライバシー権に関する裁判例が数多く出されていますが,現在では,人が自らの情報を自ら管理する権利という側面が重視されていると言えます。
なお,プライバシー権は,社会的評価の低下の有無は関係がありません。また,プライバシー権は,公表された事実が真実であっても,権利侵害となり得ます。これらの点は名誉棄損とは異なる点と言えます。
懲戒処分を受けたという事実は,処分を受けた社員,役員各人に属する情報と言えます。また,懲戒処分を受けた事実を社内であっても公表することは,当該個人の名誉感情の観点から,公表を望まない情報であると言えるでしょう。そして,懲戒処分の実施は,懲戒処分内容を対象者に通知して行われますので,懲戒処分を実施したのみでは,社内に公開されることもありません。
つまり,懲戒処分を受けた事実は,懲戒処分対象者のプライバシーに関わる情報と言えると判断されます。このことは,懲戒処分の対象者が社員であっても役員であっても変わりはありません。
したがって,社内での公表のみであっても懲戒処分の事実を対象者の実名を出して行うことは,プライバシーの侵害と判断されるおそれがあります。

2. 懲戒処分の公表が就業規則等に定められている場合

ところで,あらかじめ就業規則や役員規程において,「懲戒処分がなされた場合には,社内に対象者の実名も含めてその事実を公表する」と定められていた場合は,どうでしょうか。
プライバシー権は,個人に属する権利ですが,就業規則や規程類に,懲戒処分の公表が定められている場合,社員や役員は,あらかじめプライバシー権を放棄していると評価することも可能と考えられます。
本問では,過去に管理職や一般社員について,懲戒処分の実名が公表された場合があるということですが,就業規則等には懲戒処分の公表について定められていません。過去に懲戒処分の公表が実名を含めてなされたことがあるというのみでは,社員や役員があらかじめプライバシー権を放棄していると評価することは困難と考えられます。
また,たとえ懲戒処分について公表をすることが就業規則等で定められていたとしても,なお,注意を要する点があると思われます。
つまり,懲戒処分の対象となる非違行為にはさまざまなものがありますが,ハラスメント事案の場合は,ハラスメントの被害を受けた者が存します。本問では,取引先に対するパワーハラスメントの事案が非違行為となっていますが,そのほかにも,社内にハラスメントの被害を受けた者が在籍しているということも考えられるところです。
そのような場合に,懲戒処分対象者の実名を公表すると,ハラスメントの被害者が自ずと特定されるおそれが生じます。ハラスメントの被害を受けた事実は,被害者にとっては,秘匿性を有する事実であるということができるでしょう。したがって,このような観点からも,懲戒処分,特にハラスメント事案の懲戒処分についての具体的な事実の公表には慎重であるべきです。
懲戒処分の事実を公表する意義は,社内の職場秩序を回復し,併せて再発防止を図ることにあると言えるところ,これは懲戒処分対象者の実名を出さず,また,関係者の特定ができないような形で公表するという方法でも,目的を達成できると考えられます。そのような観点から,懲戒処分の公表について検討することが望まれます。

(『労務事情』2024年4月1日号より)

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