看護のチカラ この人に聞いてみた 第11回 人しかいない (後編)
編集部が今、一番会ってみたい人に「コミュニケーション」についてインタビューするコーナー。
看護業界以外で活躍している人のコミュニケーション方法がお仕事のヒントになるかもしれません。
前回に引き続き、今回の “この人” は介護福祉士の辻本敏也さんです。
入院中の看護師さんとの爆笑トーク。 今度は気絶する辻本さん。 現在のスタイルで仕事をする核となるエピソード、後編です。
●辻本敏也(つじもと・としや)
1974年東京都新宿区生まれ。2004年上智社専介護福祉士科に入学、介護福祉士資格を 取得し卒業。都内の在宅介護事業所で高齢者介護、障害者支援に10年間従事。現在は、さまざまな理由で外出に困難さを感じる人の同行サポートを行っている。さまざまな理由とは、身体的介助が必要、コミュニケーションに不安があるなど。行き 先は、公園、スーパー、映画館、学会、USJ、銀座、沖縄、ニューヨーク、ロシアなどなど。移動手段は、車いす、徒歩、電車、レンタカー、船、飛行機など。
辻本氏をモデルにした映画「37 セカンズ」が2020/2/7に公開されます。
「先生、私たちのほうが引いてるんですけど」
―辻本さんの気の遣い方は間違っていましたが、看護師さんが優しくてよかったですね。
ふふふ。
左腕の手術が終わったので、僕は麻酔でフラフラのまま喫煙所に行こうとしました。ナースステーションで看護師さんに「どこに行くんですか?」と聞かれ、「ちょっとタバコを吸おうと思って!」と答えると、それまであんなに優しかった看護師さんの顔が鬼の形相に(笑)。「今、手術が終わったばっかりなんだから、タバコなんて吸わないでください」。健康うんぬんではなく、めちゃくちゃ怖くて吸うのをやめときました(笑)。
そのあと麻酔が切れたのか、傷口がジンジン痛くなってきました。事前に、「あまりにも激しい痛みだと、身体がそれなりのダメージを負うのでよくありません。痛すぎたら手術した部分をケアしますので、教えてください」と言われていたのですが、そのときは耐えられたんですよね。だから言いませんでした。
ただ、毎日、先生が傷口の状態を確かめてくれるのですが、日に日に腕が腫れてくるし、ダルくなってくるし、痛い。さすがに先生に「大丈夫ですかね」と尋ねたところ「大丈夫だよ」とのこと。そして1週間がたち、退院予定日が来ました。
「今日で退院ですねー」と言われたのですが、腕がパンパンで痛くて痛くてたまらないので、「もう1回だけ診てもらえませんか?」と先生にお願いすると「いいよー。診てみようね」と。目の細い優しい先生なのです。
包帯をほどいて傷口を見た瞬間、先生の細い目がカッ開きました。「うわッ!これ、痛いですか?」と聞かれ、「これ、痛いんですよ。ずっと言ってたんですけど、痛いんですよ」と僕。
「これ、あまりよくないです!」
「どのようによくないんですか?」
「内出血してます、かなり激しく。よく見たら、手術したのは肘なのに、脇の近くまで青くなって腫れてます」
「う!」
「血液はなかなか体内に吸収されないし、この量なので、この血液を出します!」
「やってください!」
ということで腕にたまった血液を排出することになりました。
でもね、手術から5日くらいたっているので、傷口の縫い目がくっつきかけてるんです。そのくっつきかけてる縫い目の間から、ストローくらいの太さの金属の棒(先端は丸い)を入れて、言い方悪いけど、くっつきかけてる皮膚を破いて、なかでくちゅくちゅくちゅと動かします。
―うぐーーーッ。
固まりかけている血液をほぐすためにくちゅくちゅして、くっつきかけてるのに破いた10cm弱の傷口から、ニキビを潰すように絞り出すッ!すると、傷口からまんべんなく黒っぽいドロッとした血液がぶにゅぶにゅーっとあふれ出すッ!
―……(白目)。
ある程度出たら、また金属の棒を突っ込んで“くちゅくちゅ、ぶにゅぶにゅー”の繰り返しです。
麻酔なしでやったので、「ごめんなさい、これ痛いですよね」と先生に言われたんですが、もしも僕が「痛い」と言ったら手加減されると思い、しっかりと処置してほしかったので、「痛くないです」って答えました(笑)。先生は「いや、ものすごく痛いですよね。でも、この処置をしておかないと治りがよくないから……」と何回も絞り出します。そのたびに、
「痛いですよね」
「痛くないです。大丈夫です」
「痛いですよね」
「いひゃくないれす、らいろーぶれふ」
「痛いですよね」
「◎△$♪×¥●&%#?!」
となっていったので、先生が「足挙上!」と看護師さんに指示を出しました。僕はあまりの痛さで貧血を起こしたらしく、看護師さんが僕の足の下にクッションや毛布なんかを入れて、血液を脳にまわせるようにしたのです。
そんなこんなを医務室で繰り広げているなか、病棟の看護師さんがみんな集まってきていたみたいで(笑)。僕は1週間入院していたし、しかも緊急ではなく予定入院だったので比較的元気だし、病棟の看護師さんのほとんどとよくおしゃべりしていました。友だちチックに接してくれる看護師さんもいたりして楽しく過ごしていたんですが、医務室での騒動を目撃していた仲良しの看護師さんが発した、「先生、私たちのほうが引いてるんですけど」の一言が忘れられません(笑)。
―整形外科の看護師さんが引くほどの処置だったのですね(笑)。
野村健一さんことケンちゃんとお姉さん
みたいですね(笑)。
処置が終わって病室に戻ったあと、先生と部下の先生が2人で来て「止血のための緊急手術をさせてください。さっきの処置だけでは、また血がたまってきちゃうでしょう」とのこと。僕としては回復したいので、「やっていただけるなら、お願いします」と答えました。ただ「すぐに手術の準備に入らせてもらいたいんですが、ご家族の同意が必要です」と言われました。今から家族に来てもらうとしても、
1時間くらいかかります。そんな悠長な状態ではなかったようなので、電話して家族の同意が得られたら、僕が書類に代筆することになりました。
家に電話して母に経緯を話すと、たぶんすごく焦ったんだろうけど、自分が動揺しているのが息子にわかると息子は余計心配になるから、自分は焦ってはいけない、と普段から強く思っている人なので、「敏也が手術したいのであればそうして。私はこれから病院に向かうから、手術後に会えるかもね」と言いました。そこで僕は意識がもうろうとしながら家族同意の欄に代筆して、手術が始まるのを待ちました。
本当は、午後の手術の順番が決まっていたハズなんですよね。しかも僕は退院する予定。でも先生たちはお昼ご飯も食べないで、午後イチに緊急手術を入れ込んでくれたんでしょう。
キヨミちゃん
僕の病室のドアがコンコンとノックされました。開けてみるとだれもいません。アレ?と思っていると、キヨミちゃんが壁から顔をニョキっと出しました。
キヨミちゃんは、ちょっとアホっぽい仲良しの看護師さんです。遅番だったのか、お昼くらいに出勤してきたので、医務室での騒ぎは知りません。
「辻本さぁーん。なんかぁ、手術室に連れて行ってって言われたんですけどぉ、どーしたんですかぁ?」と言います。
「あのね、僕、今日退院だったでしょ。だけどね、内出血でたくさん血がたまっちゃって、緊急手術になったんだよ」
「えー、ホントですかぁ~??」
「本当だよー。みんなに聞いてきて。さっきね、看護師さんたち、先生の処置に引いてたんだよ。僕もね、ちょっと気を失っちゃったんだよ」
「えー、ホントですかぁ~??」
「本当だよー」
その間、腕はズッキンズッキン(笑)。
「じゃ~ぁ、車いす持ってくるんでぇ、待っててくださぁい」
「あのね、今日はフラフラになるお薬打ってないんだよ。だから歩けるから、このまま行っちゃお」
「でもぉ、ルールなんでぇー、待っててくださぁい」
「いやいやいや、僕ね、緊急手術なんだよ。前の手術のときのフラフラになる注射打ってないから、全然平気なんだよ。痛みはあるけど意識はハッキリしてるから歩いて行けるよ」
「でもぉ、ルールなんでぇー、待っててくださぁい」
このまま押し問答を続けていても地獄だから、しょうがないので待つことにしました。ズキズキする肘にはガーゼをあてて包帯も巻かれていますが、血が染み出てきています。早く手術室に行きたいッ。
するとキヨミちゃんが戻ってきました。
「車いす取ってきましたよぉー」
「よし!じゃすぐ行っちゃおう!」
車いすに乗るとキヨミちゃんが押してくれるんですが、進むほどに左側にバタン、バタンと衝撃を感じます。このバタンのとき、血があふれてる左腕がめちゃくちゃ痛い。
「え、何なになに?」
「パンクしてるみたいですねぇー」
「いやいやいや。よりによってなんでこの車いす持ってきたの?」
「コレしかなかったンですぅ~」
「そっか、それはありがとね。でも、今日はフラフラになる注射打ってないから、歩いて行こうか」
「でも、ルールなんでぇー」
地獄ループ再び(笑)。バタン(痛ってえぇぇぇ)、バタン(痛ってえぇぇぇ)を繰り返しながら手術室へ向かいました。
手術室のあるフロアに到着。
「どの手術室か調べてきますぅ~」
「いや、緊急手術だからスケジュール表には書いてないと思うよ!」
「でも、確認してきますぅ」
確認から戻ってきたキヨミちゃん。
「辻本さぁん、今日、手術入っていないみたいです~」
「でしょ!僕、言ったよね、緊急だからだよ。ほら、コレ見て!包帯から血があふれてタプンタプンでしょ、おかしいよね☆」
「でもルールなんでぇ、ちゃんと確認はしなきゃいけないんですぅぅ」
「うん、わかったー☆」
キヨミちゃんが再度確認しに行っている間に、僕は勝手に手術室に入っちゃいました。準備を終えていた先生たちに「辻本さん、ここに寝てください」
と言われ、手術台へ。職務を全うできないキヨミちゃんには申し訳ないけど、今しかないッ!と思ったんです(笑)。
神経って何色?
先生から「今日は眠くなるお薬は打っていませんが、このまま手術します。ただ、痛みが激しすぎるときちんと手術が行えないので、麻酔はします。それでも痛かったら教えてください」と言われました。でも麻酔ってどのくらい効いていればいいのか、効きすぎてもいけないのかわからなかったので、結構痛かったんですが、ガマンしちゃいました(笑)。事前の眠くなるお薬を打っていないから、効きが悪かったのかもしれません。痛み的には、麻酔なしで手術されている感じ(笑)。
– 辻本さん、また?(笑)前回は眠らず、今回は痛いままじゃないですか。
はい、痛みで気を失いそうでした(笑)。手術室の(キヨミちゃんではない)看護師さんが「辻本さん、本当は痛いですよね?」と聞いてくれるんですが、手術を滞りなく遂行してほしくて「大丈夫です」と答えちゃうんです。そしたら先生が「いや、辻本さん、痛いのはよくないので、本当のことを教えてください」と言うので、「じゃ、痛いです」と言ったら、肘だけではなく、二の腕から脇の近くまで麻酔が効く範囲を広げてくれて、一気に痛みが治まりました。
やっぱりなかは血まみれだったようです。ぴゅーではなくて、じわーーーっと出血。
– では、血管が傷ついていたわけではないんですね。
はい。先生曰く、前回の手術では神経と癒着している細胞をメスではがしたんだけど、古い傷なので相当癒着が激しかったらしく、はがした細胞全体からの出血が止まらなかったとのことです。
「でも、神経はきれいな色してますよ」と言われたので、「僕にも見せてもらえますか?」って聞いたら、「今回は、やめておきましょう」と優しく断られました。グロかったんですね(笑)。「ちなみにどんな色なんですか?」と聞くと、「きれいなパール色ですよ」と。
– パール色?神経ってピンクではなく、パール色なんですか?
パール色です。「神経は大丈夫なので、よりしっかり止血しますね」と言ってくれました。焼いて止血しているのか焦げた匂いをかぎつつ、麻酔で痛みが取れた安心感も手伝って夢うつつの状態に。
手術が終わって、ちゃんと空気の入ったタイヤの車いす(笑)でスムーズに病室へ戻りました。看護師さんに「痛むときは1日4回まで座薬の痛み止めが使えますので、ナースコールで呼んでください。痛みがひどいと回復にも影響しますから、くれぐれもガマンしないでくださいね」と釘を刺されました。あまりにも痛かったのでガマンせず、座薬は2回ほど使った、というイイ思い出です。
看護師さんがいたから楽しかった
– 現在の左手の状態はいかがですか?
感覚マヒは多少あるし、ギターも弾きにくいですが、日常生活に支障はありません。あのとき何もしないで悪化するよりも、何かをしての今のほうが全然イイです。手術しなければよかったとはまったく思いません。
あと、不思議なんですが、ケガをしなければよかったとも思わないんです。だからといって無闇にケガしようとはしませんが、「ケガをしなかったらどんな人生だったんだろう」とか「ケガをしなければこんな目に遭わなかったのに」とか思ったことはありません。
– それは辻本さんマインドが健やかだからかもしれませんね。
あるかもしれません。それと、先生にもお世話になりましたけど、ご飯を運んでくれたり、検温してくれたり、夜中に見まわりに来てくれたり、いろんな相談に乗ったりしてくれた看護師さんたちとの出会いが楽しかったんです。こういう出会いがあったならよかったな、と。当時はスマホもなくて、今ほど気軽じゃない時代だったけど、なかには連絡先を交換して、退院後にお好み焼きを食べに行った看護師さんもいました。楽しかったなー。
– 辻本さんにとって看護師さんに悪いイメージはないんですね。
「あのヤロー、ぶっ殺してやる」と思う看護師さんはいませんね。「あのときお世話になった看護師さん、今はどうしてるのかな」とか「『先生、私たちのほうが引いてるんですけど』と言った看護師さん、元気にしてるかな」とか「キヨミちゃん、今でも夜勤してるのかな」とか思い返します。
お医者さんよりも看護師さんたちとのほうが接点が多かったから、よく覚えていますね。いろんな患者さんがいるし、ハードなお仕事だから疲れていたんでしょうけど、楽しく過ごさせてもらいました。
入院中に、相撲部に入っている大学生と友だちになりました。
2回目の手術では、腕に血がたまるのを防ぐために肘にドレーンが内蔵されて、陰圧のかかっているボトルにつなぎ、そこへ出てきた血液を排出する処置がとられました。完全に治癒するまでは、やっぱり出血していましたね。ボトルは首から下げていたので、お見舞いに来てくれた人はみんなドン引き。肘から管が血を吸ってて、その血が首から下げたボトルにたまってますからね(笑)。でも僕は、ドレーンの挿入口も痛くもないし、腕に血がたまらないからラクだったので、全然、平気。
ただ、その友だちが僕の写真を撮ってくれたのですが、退院後に見てわれながら引きました(笑)。
– 日常に戻ったら、大変なことになっていたと実感したんでしょうね。
まさにそうです。入院中は、首から血のボトルをぶら下げているのが僕にとっては普通だったし、腕がラクなので快適でした。なので、ドレーンを抜くときは何度も「大丈夫ですか?」と確認したほどです。もう出血が治まって血がたまらなくなっているのに(笑)。
当初は1週間で退院予定でしたが、そんなこんなで結局3週間入院しました。
– 最初の手術が終わってそのまま退院していたら、家で腕の状態が悪くなって、もっと入院期間が延びていたかもしれませんね。
ね。腕がもっとほかの何かになっていたかもしれませんよね。
これを「医療事故」ととらえる人もいるかもしれませんが、僕も家族もそんなことはまったく考えませんでした。ただ、2回目の手術の後は、「辻本さん、いたいだけいてください。何ならリハビリもしていってください」と言われ、ちょっと待遇が変わりました(笑)。トータル、よかったです(笑)。
これは、退院した後に、一緒にお好み焼きを食べに行った看護師さんから教えてもらったのですが、僕は入院した病院の患者ではなく、自宅の近所にある医院からの紹介だったので、「辻本さんに何かあったら、紹介元の先生にも迷惑がかかってしまうー」と焦ったそうです(笑)。「だからあの後、待遇変わったんだよね」と。看護師さんと仲良くなると、こういうおもしろい話が聞けるんですね(笑)。
– 辻本さんが痛みをガマンしちゃうこともわかったから、たくさん痛みの確認をされましたしね。
僕、すぐガマンしちゃうんですよ(笑)。おかげで、「意識を失うくらいの痛みって、コレくらいなんだな」という自分の限界を知れました。
– 私は知りたくないです、痛みでは(笑)。
ふふふ。もうろうとしてたけど、「先生、私たちのほうが引いてるんですけど」って看護師さんが言ったのは、ハッキリ聞こえましたね。「何やってんだよ、オメーは」って口調なんですよ(笑)。忘れらんない(笑)。
あと、手術中にラジオが聞けると言われたので、ニッポン放送をかけてもらいました。僕、ラジオが大好きなんです。だけど、止血に使う道具が電気器具だったのか、止血してる最中はラジオにノイズが入って聞こえない→ラジオを聞きたいけど止血できない→止血ができないと手術が終わらない、という三重苦(?)を味わいました。
– どうして手術室にラジオを置いていたんでしょうね?
もしかしたら、患者さんが眠っている間、音楽を聴きながら手術する先生がいたのかもしれないし、「僕みたいな患者にラジオを聞かせてくれるキャンペーン」中だったのかもしれませんね。
ただ、あのときに「J- WAVEが聞きたいです」とリクエストしていたら、止血中にノイズは入らなかったかもしれません。
– ちょっと、わかりません。
ふふふ。当時、「1242」はAMだったから。今は補完放送なのでFMでニッポン放送も聞けますが。要するに、J- WAVEはFMなのです。
– 説明してもらって申し訳ないんですが、ちょっとわかりません。
ふふふ。「ニッポン放送が聞きたいです」と言ったときにラジオをチューニングしてくれたのも看護師さんでした。懐かしいなー!
大男たちの悶絶とステキなカップル
– 懐かしめるのって、いいですね。
そうですよね!僕が入院していた病棟はエネルギッシュでした。整形外科だからかな。スポーツなどでけがをした患者さんは、手術さえしてしまえば回復の一途をたどる若い方が多くて、エネルギーが蓄えられてく感じにあふれてました。看護師さんたちも若い方が多かったですね。
スポーツやっててもタバコ吸ってる人が結構いて、喫煙所で一緒になることもありました。
そんなある日。8人くらいの整形外科で見たことのある患者さんが、等間隔に座ってタバコを吸っていました。それぞれ、包帯を巻いていたり、ギプスをしていたり、松葉づえをついていたり、車いすに乗っていたり、歩行器を使っていたりしたんですが、みんな「この人たち、どこが悪くてどんな手術したんだろう」と思っているような様子。そのうち、ある人がある人に「どこが悪いんですか?」と尋ねます。「相撲でひざ十字靭帯を切っちゃって、3日前に手術したんです」(この彼が先述の、僕の「首から血だまりポンプ」写真を撮ってくれた大学生です)とか「バスケで腕を複雑骨折して、昨日手術したんです」とか、だいたい見た目から想像できる納得の回答が続きました。
でも僕は、首から血の入ったボトルを下げて左肘に包帯を巻いてるから、ちょっと謎だったみたいで。「どこが悪いんですか?」と聞かれ、「やー、僕は昔骨折して、肘がこうでこうで、神経の手術してこうでこうで、処置がこうでこうで、再手術の結果こうでこう~」と話すと、「なんですかッ、それえええええええッ!!!」と大男たちが全員悶絶(笑)。
おもしろいことに、みんなもたいそうなケガをしているのに、自分のことは平気なんですよね。経験しちゃってるから。だけど、人のケガや手術の話になると「うわー!」ってイモムシみたいにぐねぐねなっちゃう(笑)。
また別の日。相撲でひざをケガしている仲良しと一緒に喫煙所に行ったところ、点滴のガラガラと缶コーヒーを持った小柄でとってもお上品な美しい初老の女性がタバコを吸っていました。
「お二人は、どうされたの?」と聞かれたのでそれぞれが答え、僕たちも「失礼ですが、どちらがお悪いんですか?」と聞いてみました。するとその女性は「私はね、がんでお腹のなか、ごっそり取っちゃたのよ」。僕たち「えーッ!」。
「だから、点滴だけで半年ご飯食べてないの。でもね、先生がコーヒーくらいなら、と言ってくれて」
「えーッ!タバコはイイんですか?」
「ん。今すぐタバコをやめても、がんが治るわけではないから、先生がタバコと少量のコーヒーならいいでしょう、って許可してくれてね」
「わー、めちゃくちゃ大変じゃないですかッ!」
「でも、あなた方にとっては、あなた方のケガが大変でしょう。だから、病気やケガに大きいもない、小さいもない、と私は思うわ」
「……」
なんだかやり切れない、納得できない気持ちになりましたが、何も言えませんでした。
– そんな出会いと会話もあったのですね。
その女性には、ビシッとしたスーツがよく似合うとってもダンディな紳士がよくお見舞いに来ていました。もしかしたら、女性は銀座とかの高級クラブのオーナーさんで、男性はお客さんかもっと近しい方なのかな、と想像したものです。とてもステキなお二人でした。
かと思えば、門限が過ぎているのにお相撲さんと喫煙所でタバコを吸っていると、夜の見まわりで僕とお相撲さんがベッドにいないことを確認した看護師さんがやって来て、「治す気がないなら、退院してくださいッ!!!」としこたま怒られたこともあります(笑)。真夜中だから喫煙所、真っ暗なのに、よく見つけに来たな、看護師さん。看護師さんの嗅覚はスゴいです。
もう20年近く前の思い出です。
また会いたい
キヨミちゃん、ホントに何してるのかなあ。キヨミちゃんは僕の3つか4つ年下だったから、当時21~22歳くらい。にしては度胸あったなあ。……度胸なのか(笑)?たぶん一般的には、キヨミちゃはとんでもナースなんでしょうけど、やっぱりそこには「人」と「人」のやりとりがあるわけですよ。
2回目の手術のときにキヨミちゃんが迎えに来たので、「僕がしっかりしなきゃ!」と思ったんです。キヨミちゃんのおかげで、しっかり意識を保って手術台に上がれたんだと思います。そう考えると、コミュニケーションは使いようですよね。もしも頼りがいのある看護師さんだったら、早々に心が折れていたかもしれません。僕の緊急手術にキヨミちゃんを寄こした人は相当な策士です(笑)。
辻本さんの愛猫ココさん
あのときの看護師さんたちにまた会いたいです。お母さんになった人もいるだろし、看護のお仕事を辞めた人もいるかもしれませんが、僕が病気になったら、あんな看護師さんたちに訪問看護に来てほしいと思いますもん。
いま思い返すと、看護師さんと患者という立場で出会ったものの、僕はあんまり「看護師さん」と思っていなかったのかもしれません。医療の知識や技術をもったプチ友だち、みたいな感覚ですかね。だから居心地が良かったし、ケガをしなければよかったと思わなかったのかもしれません。
実際に、僕も介護の仕事をしていて「こんな病気になってつらい気持ちはあるけれども、あなたみたいな人に出会えたんだったら、これはこれでイイと思っているよ」と言われたことがあります。その人は肺の病気で、呼吸が苦しいから在宅酸素を使っていました。僕は入浴介助で週に2回ほど伺っていて、そのときに言われたんです。
– 辻本さんがかつて看護師さんに感じたことを、利用者さんが言葉にしてくれたんですね。
そういうことになりますかね。やっぱり、しんどいだけでは継続は難しいです。楽しくないと。なので、仕事は自分が好きなこと、楽しいことで選んでいます。僕は人と人とのやりとりが大好きです。
世間慣れしていない自覚
いわゆる健常者だけを「人」と呼び、そこからあぶれている人のことを「障害者」「高齢者」「児童」と呼んでいる気がします。社会の構造もいわゆる健常者中心につくられているので、「人」とは呼ばれていない人たちには生きづらい環境やシステムが結構あります。
僕にとっては、健常者も高齢者も障害者も児童もいません。みんな「人」です。それを前提に社会を構築すれば、例えば「人にとって移動しやすい道路」であれば、だれにとっても使いやすい道路になるはずです。前提を改めないと、本質を見誤ることになります。
なんで赤ちゃんが泣くのか。それは、こっちに来てから日が浅いので、どうしたって世間慣れしていないからです。世間と自分がどうやっていけばいいのか、すり合わせができていないんです。わっかんないから泣いちゃうんです。それがだんだん「今、泣くのは違うっぽいな」って空気を読み始めるようになって、世間慣れしていくんですね。
いろんな人がいることを知れば、それぞれの立場がわかるし、それが世間慣れだと思うんですが、世のなかの全員と知り合えるわけではないから、どこかで「自分は世間慣れしていない」という自覚をもちつつ、初めて会った人に「こういう世間もあるんだな」と思える余裕があれば、社会のあり方って変わると思うんですよね。
– 辻本さん、ありがとうございました。
[2019年 10 月]
辻本氏をモデルにした映画「37 セカンズ」が2020/2/7に公開されます。
☆2020年 2 月 7 日(金)新宿ピカデリー他全国ロー ドショーの映画『37Seconds』(監督:HIKARI) で大東駿介さん演じる介護福祉士・俊哉のモデル となった辻本敏也さん。次ページからご紹介しま す。(提供:37Seconds)