インタビュー
「雑誌 × web」クロスインタビュー
Interview 1
〜人事ジャーナリスト 溝上 憲文〜
- Episode 1 「人事ジャーナリストの溝上さん」ってなってたんです。……完全に運命じゃないですか(笑)
- Episode 2 2000年ぐらいでしたか、追い出し部屋の潜入取材にいったんですよ
- Episode 3 1990年代半ばぐらいから、社員をコストとしか考えない。 そういう雰囲気がどんどん漂ってきたんです
- Episode 4 人事が見ているのは社員だけど、派遣は社員だと思われてなかった。構造的におかしかったのが吹き出たんです
- Episode 5 人事部には限界があるんです。やっぱり経営者が、人のことをちゃんと考えていないと
- Episode 6 人を活かすために投資して人を育てるという、人事がやりたい仕事ができなかったのがこの30年かな
Episode1
労働の記事って婦人部が担当だった
編集部
溝上さんには長年、弊社とお付き合いいただいていますが、弊誌『人事の地図』で「人事の仕事」という特集を組みまして。
それなら「外から見た人事」というのも紹介したいということで、『ジャーナリストが見つめてきた人事の世界 30 年』と題した記事を寄稿いただいたんですが、これがまた面白い。
内容について深堀りするのはもちろん、そもそも溝上さんどういう方なのか、ですとか、そもそも人事ってなんだろうみたいな話を聞きたいと思ってインタビューさせていただきました。どうぞよろしくお願いします。
溝上氏
はい、よろしくお願いします。
編集部
まず最初に「溝上さんってどんな人なんだろう」というのを追っていきたいと思います。
弊社では概ね『ジャーナリスト』とクレジットさせていただいてますが、そもそも溝上さんは人事専門に追いかけていらっしゃるんですよね?
溝上氏
最近はもう人事一本な感じですね。肩書き的にも、前は単に『ジャーナリスト』だったんですが、週刊誌のコメントを求められて掲載された記事を見たら、勝手に『人事ジャーナリスト』ってつけられてましてね。要するに問題に詳しい溝上さんって意味でつけたのかなと思ったので、ま、いっかと(笑)。
僕の中で決定的だったのは人事院の女性管理職研修の講師で呼ばれたセミナーですね。
ここでもやっぱり「人事ジャーナリストの溝上さん」ってなってたんです。これってつまり、あらゆる官庁の女性幹部候補生に人事専門のジャーナリストって認知されたってことですよね(笑)。もう国も認知してるんだったら別に違和感ないんだろうなと思ってそれで使い始めたんです(笑)。
編集部
それは確かに公認ですね(笑)。ちなみに人事専門まではいかなくても、基本的には人事を追いかけている、という方って結構いらっしゃるんですか?
溝上氏
基本的に人事に詳しい人っていうと、いわゆる「人事コンサルタント」となるんでしょうけどコンサルタントはあくまでコンサルタントって仕事なので、ちょっと違いますよね。
そうすると新聞記者などで、広く人事のテーマを扱う人たちになるでしょうね。「人事制度が~」とか「福利厚生が~」という記者会見や取材現場でよく会うのはそういった方たちですね。あと最近はネットメディアが出てきたので、そういう人たちもでしょうか。あまりフリーランスの人には会ったことないですね。
編集部
なるほど。新聞記者などで、特に人事などに興味があるという方は結構いらっしゃるんですか?
溝上氏
しばらく前から新聞社も、労働エディターというセクションができてきたんですよ。そうそう、かつては労働や人事って、休日の家庭版に掲載されるような記事で、婦人部が担当してたんですよ。労働問題って、1990 年ごろまではほぼ女性の仕事だったんです。
要は「奥さんがパートで働くならこんなことが……」とか、社会というより家庭の中に関する問題だったんです。それが、日本経済が厳しくなって、働き方とか労働問題が社会的に注目を浴びるようになってきたので、新聞も本腰を入れてきたわけですよ。
編集部
ああ、なるほど。働き方とかって、元々は婦人部が扱うネタ、本当に「暮らし」だったんですね。それがもっと大きい話、社会的な話になって、ある意味真正面から向き合い始めたと。世代的に私が疎い時代、というのは置いておくにしても、やっぱり我々人事の専門誌は、それこそ人事の問題とずーっと真正面から向き合ってきたというか、そこばっかり見てましたので(笑)、そういう外の流れとのギャップは、ちょっと意外に思えますね。
副業・兼業を先取りしていた!?
編集部
溝上さんってフリーランスでやられていますよね。最初からフリーだったんですか?
溝上氏
大学を出て、1 年間小さい雑誌の編集をやっていたんです。そのうちに編集もいいけど、自分が書きたい、ライターやりたいと思うようになってきて、そんな時にご縁があって『月刊現代』というノンフィクション作家が書く月刊誌を紹介してもらって、編集部で作家の取材補助のような仕事を始めたんです。
当時は結構凶悪な殺人事件なんかも話題になったころで、被害者がコンクリート詰めにされた事件の取材なんかをよく覚えてますね。そういう、いわゆる社会ネタをやりながら、週刊誌で転職者の取材をしたり、当時創刊された『週刊 SPA」のビジネス関係の記事なんかを書くようになっていくんですよ。
編集部
週刊誌の記事を書いていた話は、以前からよく聞いていましたがそういう流れでしたか。
そのままフリーランスとして、今に至る感じですか?
溝上氏
実はそのあと 4 年ぐらい民間企業で働いてました。流通系の団体で、経営企画みたいなことや労働組合の副委員長もやっていましたね。
編集部
それはもう完全に「中の人」じゃないですか(笑)。でも、それで今まで取材してきた側
のことも実感できたんじゃないですか?
溝上氏
まったくその通りですね(笑)。そしてまたマスコミの世界に戻ってきて……35 歳ぐらいですかね、『週刊宝石』というところで、月 1 回 7 ページぐらい、1 人で企画を立てて、取材して記事を書くという仕事がきたんですよ。
編集部
それはどういう契約だったんですか? 正社員? 請負?
溝上氏
一応履歴書を出した気がしましたけど、社員ではないですね。予算をあげるからいい記事書いてくれよ、みたいな。実はそこで人事の世界に深入りし始めたんですよ。
編集部
以前から週刊宝石でのエピソードは特によく伺っていますが、溝上さんのキャリアの中でもここからが人事に深く突っ込んできたタイミングになるんですよね。
溝上氏
そうですね。リストラ問題とかサラリーマンの自殺、それから人事制度では例えば松下電器の退職金前払い制とか。そういったビジネスマンが関心あるテーマがどんどん出てきたんです。
編集部
今回の寄稿でも当時の様子を書いていただいたわけですが、90 年代入ってバブルがはじけて、いろんな問題が表面化してきたところに、そこに深く関わるような企画担当になったということですよね。なるほどなるほど……完全に運命じゃないですか(笑)。
溝上氏
そうかもしれませんね(笑)。週刊宝石がなくなった後は完全にフリーランスになったんですが……あ、でも民間企業にいた時や週刊宝石の時も、別の記事書いていたんで、すでにフリーランスだったといえるのかな? 専属ではなかったので、プレジデント誌の記事も書いていましたし、パチンコ業界の取材もしてました。平日は会社で働いて、週末はビジネスホテルで原稿書いてましたよ。
編集部
プレジデント誌は今も寄稿されていますよね。もうその頃からお仕事されていたんですね。それにしても、平日は会社で仕事して、土日はビジネスホテルで執筆って、今なら、完全に副業・兼業じゃないですか!
溝上氏
そういわれるとそうですね。でもあの頃は税務の処理をいい加減にやってたんですよね。きちんと処理していれば税金相当抑えられたんじゃないかと思います(笑)。
編集部
ああ~、わかります。私もフリーランスで社会に出たクチですから、最初のころは確定申告とか全然わからないまま税務署に申告してましたね。
溝上氏
そういう働き方をしていたのも結果的に良かったのかなと思います。今だったら本当にモデルケースになりそうなんですが、実は会社在籍中に本を出版したんですよ。
上司に本が出ますって言いに行ったら、「お前こんなのやってたのか、初めて知ったぞ」と言われて、そこで「社員が他所で本を出してもいいんだっけ?」となってね。社内の規定をチェックしたら、そもそも何も規定がなかったのでセーフ、ってなりました(笑)。
編集部
当時ですとそもそも副業なんて言語道断という空気なんじゃないですか?
溝上氏
けしからんとか何やってんだっていう空気ですね。なので、常識過ぎて逆に副業禁止規定がないところもあるぐらいだったんですよ。
そうそう、1992、3 年ごろにトンデモ副業実態なんて記事も書きましたね。例えば、社員が新宿2丁目でアルバイトしてたとか。これ、本人の趣味と実益を兼ねたアルバイトだったって話で、昔からそういうのはよくあったんですよね。
編集部
そうですね。今の副業・兼業については、労働時間の把握が難しいとか、社員の健康問題とか、理屈的にいろんな課題があると思うんですけど、そういう昔からあった出来事のイメージをいまだに引きずってる方もいらっしゃって、それで感情面でちょっと引っかかる人もいるからネガティブ、というところもあるんじゃないかという気もしますね。